Joy!しろうさぎ通信『そこかしこに壁』

米子東病院 脳神経外科  仲 山 美名子(旧姓石橋)

久しぶりに「脳神経外科」と書いた。20年間手術を中心とした診療科の脳外科医として休日も返上で働いて、たっぷり税金を納めてきたが、
手術をしていないと学生の頃から憧れていた「脳神経外科」の肩書きすら名乗らせてもらえないことが多くなってきた(泣)。
前稿の「脳神経外科に入局して結婚できるか」を前回のこのコーナーに寄稿してから、おかげさまでずいぶん反響があった。数人の女性医師
からは「書きたいけど書けなかった。でも言いたいことを言ってもらって嬉しかった」などと言われると、クビをかけてでも少しでも現状を
伝えることができて良かったと思った。「読みやすかった」などの感想が多かったが、目を通していただいただけでも幸いである。本当はこ
れから人生を切り開いていく「勤務医」の若い先生に読んでもらいたい。医師会雑誌に何か言いたいわけではないが、医師会に入会し、これ
を読んでくださるのは、ある程度人生の道筋の決まった諸先輩方がほとんどであり、岐路に立つ若い先生にはまずほとんど伝わらないという
ことだ。それはさておき、前回の「脳神経外科に入局して結婚できますか?の答え」の寄稿は、石川県医師会誌への転載依頼も来た。文章が
知らないうちに一人歩きを始めようとしていた。遅ればせながら、実名を出させていただいた先生方に承諾を得て、同医師会には快諾してお
いた。コロナ禍でなければ講演にでも行って熱弁を奮いたいところである。
 また実名を出してしまうが、当時の医局長の近藤先生の「結婚できるかどうかは君次第」は確かで、今回は、結婚したその後に出くわす、
そこかしこにある見えやすい壁や見えにくい壁など、いろいろな壁について最近考えていたことを書いてみようと思う。意見というより、ほ
ぼ愚痴に近いかもしれないので、サラリと流していただきたい内容もあるが、自腹でも蛍光ペンでカラーにして訴えたい部分もある。
 まず、入試の壁、女性の点数を故意に減点して男性を多く合格させるということが少し前にマスコミ等に取り上げられた。これは同性の独
身の女性の先生と話しあっているときに流れたニュースで知り、意見が一致したが、例えば誰かが産休、育休を取得したり、時短勤務にした
りすればやはり独身の女性医師や子育てのひと段落ついた医師、男性医師に負担がかかる。人数があまり多くなく女性医師の割合が高い医局
や病院では通常の業務に支障をきたす可能性がある。ガツガツ働く数年前の私のような独身の女性医師ともなると、自分が選んだ道であって
も、自分の払った高い税金が、「元気でやってます」<「ふふ♥仕事してないけど幸せそうでいいでしょ」にしか見えない家族写真付きの年
賀状を送って来るような家庭に回りまわって育休中の手当てや児童手当、保育料に使われていると思うと、年末年始の日当直でボロ雑巾のよ
うになって帰宅したすさんだ心と体に突き刺さる勢いだ。郵便受けを開けてイラっとする自分の心の狭さにまたへこむ。女性同士のほぼ可視
的な壁、男性医師が面と向かって言わない(言う人もいるが)壁があまりにあると、人間関係はうまくいかなくなるし、業務ができないこと
もある。それゆえ、統計学的なエビデンスも何もないが、職場の構成として男性8割、女性2割程度が限度ではないかと思う。科にもよるが、
妥当な比率ではないかと思う。もし入試の時に公平に点数配分をしたとしたら、医局は休日、深夜などに働ける人材が少なくなり、「医療崩
壊」になってしまうのでは、と思う。しかし、同じことを男性医師が言うと大問題になる。実際に炎上していたのも確かだ。何がいけなかっ
たのかというと、「点数操作しますよ、だって医療崩壊起きたら困るし、女性は結婚して辞めちゃう人もいるでしょ?それを承諾されたら受
験してください」と前もって宣言するか、入試要項にそれとなく記載しておくべきだったのだ。内緒はよくない。
 そして次の「子育ての壁」。婚姻は自由だが、子供が生まれると医師に限らず、目の前にはたくさんの壁ができる。努力して克服できるも
のではない。夜泣きはつらいが、壁ではない。男性と女性との間にできた子供であるが、女性特有の問題のようになってしまっている。出産、
育児をひと段落させ、復職しようと思った時、「“子育て王国”にいるから大丈夫」、とか「“事業所内保育所”があるから大丈夫」、「勤
務先の病院には同じ法人内に保育園があるから心配無用」とか「病児保育やってるところがいくつかあるから大丈夫」などの考えは危険であ
る。トラップにはまった結果、目の前の壁に気付く。まず、事業所内保育所。鳥取大学医学部附属病院には学童保育までも面倒を見てくれる
保育所があるが、それ以外はほとんど「3歳未満児保育で終了、3歳になったら自分で探してね」である。「事業所内保育所」と書いてあっ
ても、自治体の管理下に入っていることもある。純粋な事業所内保育所は、例えば米子市のホームページで目にすることはない。私は米子市
内に住んでいるが、3歳になってからでは希望の保育園にはまず入れない。「これが保活かー」と近所から調べてずいぶん遠くまで回ったが、
どこもかしこも「いっぱいです」。幼稚園すらない。あまりにないので郡部に移住した人もいるのも納得だ。シングルマザー(ファーザー)
と保育士さん以外は特別な事情がない限り、点数が足りず、入れない。介護をしていても点数が高いが、連日の介護・保育・仕事をしていた
ら間違いなく過労死する。しかも、職業欄に「医師」と書くと、さらに点数が引かれる自治体もあるそうだ。実際に日本医師会新聞のコラム
に記載されているのを覚えている。ベビーシッターでも誰でも雇えばいいじゃない?とか無理して働かなくても……、みたいな声が聞こえて
きそうだ。
 「3歳の壁」という言葉は、壁にぶつかるまでは都会の話だと思っていた。業界用語なのか、「3歳」を省いて「未満児保育」と言うが、
過去の授業などでは一度も聞いた記憶はないが、どうやら常識のようだ。その「未満児保育」は4月の時点で2歳までの子供のことであり、
未満児保育所は3歳で卒園である。そして「3歳の壁」がやってくる。そのため、未満児保育所では2歳のうちに次の3歳以上の保育園を探
すよう勧められるが、地域にもよるが、米子市中心部というか、ある程度、家が立ち並ぶところでは募集人数はほぼゼロか一桁である。ただ
この「2歳の壁」は乗り越えられなくても、もとの保育園に残留することが可能だ。しかし確実に「来年も落ちたらどうしよう」という恐怖
だけは心に刻まれる。それを知っているお母さんたちは、復職を延期してでも中高一貫教育のような、「0歳から就学前まで」、ついでに校
区内の学童保育もある保育園を狙って待機する。実際に米子市は0歳の待機児童が最も多いそうだ。これが「0歳の壁」である。そしてそこ
に「幼児教育・保育の無償化」が導入された。一見ありがたい制度ではあるが、働くのはまだ早いから幼稚園に短時間預けようと考えていた
お母さんも、「無料なら預けて、その間働こう」ということになり、すでに「未満児保育所」に子供を預けて働いている母にとっては、さら
に高くなった「3歳の壁」に挑むのである。「無償化」の波に巻き込まれた私は、保活に疲れ果て、本末転倒だよな、と思いつつも幼稚園に
申し込み、内定をもらって心の平和を取り戻した。働けば働くほど、幼稚園の延長料金を払うことにした。幸い、認可こども園内の幼稚園の
籍だったので保育園籍への移行が認められ、現在に至っている。先日、未満児保育の事業所内保育に2歳の子供を預けている看護師さんは
「早めの転園を」ということで「2歳の壁」に挑んで敗れ、制度が十分に理解できていなかったために、「保育園に入れなかったので、4月
からしばらく休業します」と半泣きだったので、「もう一年あるから大丈夫ですよ」と伝えた。
 医師に限ったことではないが、新たに働く女性を増やすことも大事だが、今働いているお母さんたちがまず安心して子供を預けられる環境
を整えることが重要視されないのが不思議である。 そしてこういったことは「働くおかあさん」の問題として取り上げられる。保活を真剣
に考えているお父さんをあまり見たことがない。「働くお父さん」はたまに迎えに行くと感謝される。たまにする家事と同じだ。
 子供が病気になった時もそうである。病児保育はさらに狭き門なので、風邪が流行したりすれば自宅で休むことになるのがほとんどだ。そ
して病気の時ぐらい、そばにいたい、と思う気持ちもある。わが子が0歳の時、大学から一般病院に就職した。有給休暇のありがたさを初め
て知るやいなや、子供が入院したこともあり、あっという間に有給休暇はなくなった。そして1週間ほど休んだこともあり、「入職早々休ん
で、使えない人」の看板をかけられた。というより、似たようなニュアンスの言葉を言われた。今回はここは深追いしないことにして
(次回あたりで)。とにかく「大丈夫?」の言葉を耳にすることは皆無になっていった。唯一声をかけてくれるのが、入院や通院している小
児科の看護師さんや医師だ。
 そしてそのあとも休まざるを得なかったため、欠勤や早退扱いとなった。そして給与はびっくりするぐらい減っていた。「なぜこんなこと
になるのか」。有給休暇を使い切ったからである。試しに夫に聞いてみた。「有給ってどれぐらい残ってる?」「分からないけど20日以上は
あると思う」「……(怒)」。 改革は我が家から、ということで早朝出勤の夫は、子供が寝ている間に出勤してしまうので、子供の体調不
良時は一日目は私が休む、二日目以降は夫が休むというルールを作った。しかし、今時というか、ある世代からは男性も自ら堂々と一日目か
ら休む。普段から同等に子育てをしているから何の抵抗もない。コロナ禍で休校になり、親も休まざるを得ない時も、当然のように妻と分担
して休んでいた。だが、一昔前と言っては失礼だが、昭和生まれの男性には、全くそんな考えすらよぎらない。結果的に妻は「医師免許」を
持ったどんなに優秀な人であっても、家に閉じ込められたり、パートだったり、非常勤になってしてしまう。そして最も大事な時期のキャリ
ア形成を逃してしまうことが多い。
 今回はオチも結語もないが、日々感じていること、綱渡りの毎日を記載してみた。少しでも、働く女性医師の目に留まることを願っている。
(まだ終わりません、「女性が話すと長い」←偉い方のお墨付き。話はそれるが、小中学校の男性の校長先生の話も長く、女子が3人くらい
倒れてからやっと終わるのに。) 前回、原稿を書いているときから、海外での事例や、今回こそは、女性二人が並ぶノーベル賞受賞の写真
や、「世界を変えた女性たち」などについて、もっと素敵なことを書こうと、ネタをためているのだが、なかなか辿り着かない。個人的には、
20年以上溜め込んだネタやストレスのストックがあるので、また数ヶ月後に参上させていただきたいと願う。