Joy!しろうさぎ通信『我が家の男女共同参画は男女共同△』

倉吉市 西倉吉クリニック 大谷英之

 妻は眼科医、自分は内科医の夫婦です。
 妻が卒後3年目の眼科研修医、自分が大学院生3年目に結婚し、米子のアパートに住んでいまし
た。妻の妊娠を機に、お互い仕事が不規則であるため、夫婦だけでは子育てが難しいだろうと考え、
松江の妻の実家に同居し、米子へ通勤する生活を始めました。この間、妻は大学病院に勤務、自分
は大学病院1年半、江津済生会総合病院に1年間単身赴任、安来市立病院に半年間、博愛病院に5
年半、山陰労災病院に1年間勤務しました。妻の職場復帰にあわせて長女は1歳半から、長男は生
後半年から次女は生後2ヶ月から保育所に通い始めました。保育所の送りは妻の両親に手伝っても
らい、迎えは、妻が迎えに行ける時は妻が迎えに行き、妻が仕事で遅くなる時は、両親に迎えに行
ってもらいました。両親のおかげで自分たちの出勤時間に合わせて寝ている子供を起こして保育所
に連れて行ったり、仕事が終わるまで保育所に待たせたりすることがなくてすみ、妻の両親には感
謝しています。自分は当直明けで午後から早く帰宅できる時は、保育所に迎えに行くことはありま
したが、数えるほどで、迎えに慣れないまま子供達は卒園していきました。その後、倉吉で開業す
るため、倉吉の実家に転居し5年間、自分の両親と生活をしました。倉吉に転居後は、妻は、週4
日、眼科の関連病院に勤務し、自分は週6日診療を行う生活になりました。朝食は自分の両親が作
ってくれ、夕食は妻と母親が交代で作ってくれました。勤務医の時は、平日の行事に参加すること
はできませんでしたが、土曜日に行われる運動会や親子遠足などの行事には、早朝に回診を済ませ
て参加していました。開業後は学校行事に参加することが難しくなり、午前と午後の診療時間の合
間に参観日や学習発表会に少しだけ顔を出すだけになった一方、妻は子供たちの年間の学校行事を
把握し、学校の行事予定にあわせて数ヶ月前から外来日を調整して参加してくれています。外来を
休診にした分、他の診療日に予約患者さんを振り分けるため、学校行事の前後の外来は忙しくなる
ようです。新型コロナウイルス感染が流行し、学校行事への家族の参加人数が1人に制限されて、
参加できない正当な理由ができ、妻に対するうしろめたさから解放されていましたが、5類移行に
伴い、参加できない新たな正当な理由を見つけなければなりません。昨年から子供の学校の廃校に
伴い、統合される学校の校区に引っ越し、妻と子供だけの生活を始めました。結婚17年目にしてよ
うやく洗濯とゴミ出しを始めました。洗濯物を乾燥機にかけ、寝るまでに洗濯物を畳んでおくよう
にしますが、サイズが同じで誰のものか見分けがつかないものがあり、最後の仕分けができず中途
半端な仕事をしています。一度、妻が泊まりで外出することがあり、仕事に出る前に朝食を作りま
したが、時間との戦いで大変でした。一食の献立を考えるだけでも大変で、これを毎日している妻
には頭が上がりません。実家も10分くらいのところなので、子供が病気で学校を休んだ時は、実家
の両親に預けて病院に連れて行ってもらい、食事を食べさせてもらっています。
 これまでの自分の生活を振り返ると、家事をはじめ子供のことなど、妻や互いの両親に任せきり
で、男女共同参画を推進している時代とはほど遠い生活をしてきました。今まで家庭のことを考え
ずに仕事ができていたのは妻をはじめとするお互いの両親のおかげだと思いました。幸い妻もお互
いの両親も元気ですが、今後歳をとっていく中で、自分がどのように家庭での役割を果たせるのか
不安です。妻よりも1日でも早くあの世に旅立つことを願うばかりです。
 最後に妻に添削していただきましたが、男女共同参画は絶対無理。子供は女性しか産めんと一刀
両断のコメントをいただきました。