Joy!しろうさぎ通信『家庭医の目線から振り返るJMAT活動』

鳥取県立中央病院 呼吸器内科* 奥谷はるか

 今年、1月1日16時10分、マグニチュード7.6、最大震度7を観測した令和6年能登半島地震が
起きました。被災された方々に心よりお悔やみ申し上げます。
 医師になってからは初めての災害で、何か自分にもできることはないかと思っていたところ、院
内でJMAT(Japan Medical Association Team;日本医師会災害医療チーム)の募集があったため
参加することに決めました。1月22日から26日に参加してきました。元々災害医療の知識があるわ
けでもなく、どこに派遣されるかも業務内容もはっきりわからないという不安を感じつつも、三日
間の活動日をなんとか終えました。その時体験したことや感じたことを、多くの方に伝えたいとい
うことで、拙いながらも筆を執ることとしました。今回は実際のJMAT活動、重要性を感じた場面、
今後も必要とされることの3点をお伝えできればと思います。
 初日、鳥取から石川へ移動しJMAT本部である石川県庁に到着し、オリエンテーションを受けまし
た。オリエンテーションで「ハードな環境に行けるチームが減ってきている」「この寒さでの野宿が
できるくらいの装備があるか?」と聞かれ最初は面食らいました。
 結局派遣が決まったのは能登中部で、病院診療所機能がある程度回復していて、下水道設備も整っ
た場所でした。それから三日間は金沢市内のホテルから車で片道1時間半かけて毎日往復の日々でし
た。
 医師、看護師、薬剤師、ロジスティック(事務)2名の5人チームで病院支援や避難所巡回に当た
りました。同じ地区では2〜3チームが常に活動していて、私たちのチームは避難所巡回が主な業務
でした。周辺の診療所や病院が再開していたこともあって、簡単な健康相談に乗ったりDVT予防のた
め弾性ストッキングを配布、管理したりすることがメインの業務となっていました。その中で緊急性
の高い疾患が想定されることもあり、受診を促したり救急搬送したりすることもありました。初めて
いく土地で、地域の医療資源を短期間で把握し実働する力が必要とされていると感じました。
 また、短い活動期間の中で前のチームから引き継ぎを受けて次のチームへ引き継ぎをしていかなけ
ればならず、情報伝達の重要性を強く感じました。また、継続できないことはやらない、過度に負担
となる処置や処方はしないことなど線引きも重要だと知りました。プライマリケアの基本原則とされ
ているACCCA(Accesibility(近接性)、Comprehensiveness(包括性)、Coordination(協調性)、
Continuity(継続性)、Accountability(責任性)をいかに実践するかが重要だと感じました。
 ある時は爪が長くてストッキングを履けないという方の足の爪を切ったり、井戸端会議に参加した
りもしました。同じ地域といえども避難所によって全く雰囲気が異なり、和気藹々とした場所もあれ
ば大きな声での会話は控えてと貼り出してあるところもあり、毎回新たな場所に立ち入る瞬間は緊張
感がありました。しかしながら中に入って、お話を聞くと今の生活状況や不安について色々と話して
くださる方が多く、皆誰かに話すこと自体を癒しとして欲しているのではないかと思いました。
 「椅子に座っとっても、ガタンとなるとあの揺れを思いだす」「毎日避難所から5㎞離れた家の様
子が気になって、歩いて見に行ってる」「家で旦那と二人で気が滅入るからおしゃべりしに毎日避難
所にきてる」など、人それぞれさまざまな困難を抱えながらも生活されていることを知り、少しでも
支えになれればと言う気持ちになりました。色々な方に話を伺う中で専門家に繋ぐ必要を感じるケー
スもあり、心のケアチームに相談を勧めたこともありました。
 また、印象的だったのがチームのメンバーの中での支え合いでした。毎日早朝にホテルを出発し避
難所を何箇所も巡回し、カルテの記載や日報の作成、引き継ぎ資料の作成などのタスクが多く、メン
バー内で分担し動けていたことで、一人一人の負担感を減らすことができたと思います。一緒に活動
してくれた四人の支えのおかげで、体力のない私も三日間活動を続けることができたので本当に感謝
しかありません。他県のチームからも鳥取チームの雰囲気が良いとの評判ももらいました。
 同時期に同じ地域で活動していたチームでは病院での入院患者の転院についての助言や仮設病棟の
新設、壊れた病棟の片付けなども手伝っておられ、医療チームだから、医者だから、ロジだから、と
言ってやることを取捨選択するのではなく、困っているサインを敏感に掴み取りみんなで知恵と力を
合わせて解決するという姿勢は見習いたいと思いました。
 震災から3ヶ月が経とうとしていますが、今も1万人近くの方が避難所での生活を送っています。
一日でも早くライフラインが復旧すること、そして傷ついた心が少しでも癒されることを祈っていま
す。

*現 鳥取市立病院 総合診療科