Joy!しろうさぎ通信『「脳外科に入局して結婚できますか?」の答え』

米子東病院脳神経外科  仲山 美名子(旧姓 石橋)

 医学部の2年生の頃には、すでに鳥取大学の脳神経外科への入局をほぼ決めていたので、入局説明会は
タイトルの通りの質問をひとつ聞いて帰ろうと思っていました。当時の医局長は現在山陰労災病院脳神経
外科部長の近藤慎二先生でした。とても早口なので、のちに一緒に仕事をさせて頂くようになってからも
2割ほどしか聞き取れませんでしたが、その時聞き取れたのは、「結婚できるかどうかは君次第だ」とい
う答えでした。「そりゃそうだ」と一瞬思いましたが、いやいやそうじゃなくて「脳外科医として仕事を
しながら、家事とか子育てとの両立ができますか」の意味だったのですが。
 最近、私の出身である脳神経外科の医局ですが、教授をはじめとしてイケメン(?)が増えたためか、
入局する女性医師の数が少しずつ増えています。10年近く、近隣の関連病院も含め、「女性医師」は一人
だったので、大変喜ばしいことだったのですが、残念ながら大学の医局を3年前に退局させて頂くことに
しました。私がいなくなったから入局者が増えたわけでは決してなく、医局の魅力upと志の高い若者の
存在が理由です。
 紆余曲折あった部分は意図的に中略させて頂きますが、旧姓を併記していますように、40歳過ぎで結婚
しました。そして43歳での妊娠、出産はなかなか大変で、当然引き続き始まった子育ても決して甘くなく、
子育てをしながら脳外科医を続けていく自信がなくなり、さらに外科医としてのいろいろな迷いも出てく
るタイミングでもありました(お話させていただく機会があればまた続編で)。当時は、それまでとは違
う働き方を思いつくことも、とりあえず相談してみることも思いつかず、入局から約20年間お世話になっ
た、脳外科の医局を退局しました。当然未練がなかったわけではありませんが、いろいろな意味で実際に
生活できないため、辞めざるを得なかったというほうが事実に近いかもしれません。脳外科の仕事を手術
をすることと定義すると、上記のタイトルへの答えは[No]だし、手術をしなくても、と定義すると
「何とか[Yes]」になるのではないでしょうか。
 自分自身では医学部の2年生の頃から脳外科へ入局することを勝手に決めており、臨床講義や実習が待
ちきれず、夏休みには一人で手術の見学に出かけて満喫したところからのスタートだったので、満腹とま
では言い難いのですが、かなり濃い年月、内容を過ごした気がします。医師4年目でノースカロライナ州
にあるアメリカ国立環境衛生研究所に留学させてもらいました(というより渡辺高志前教授からの電話1
本「アメリカ行ってね」という軽いタッチの人事に、「あ、はい」と返事するのみでした)。
 ただ、よほど特殊な環境でない限りは、のちに考えてもこのタイミングでしか「女性医師」としての私
には、学位取得や留学のタイミングはなかったのではと思います。29歳から2年半の留学、31歳で帰国、
その後に学位を取得しました。脳外科は通常7年目で専門医試験を受けるのですが、1年遅れて8年目で
試験を受け、何とか合格しました。学位取得と同じ年です。臨床経験が少ない分、猛勉強の日々でした。
年齢的には結婚や出産の適齢期と言われる年代でしたが、上記の経過にはお色気など付け入るスキもあり
ません。「結婚や出産に結び付くような色恋沙汰」や、今で言う婚活です。
 その後は留学中の研究を発表し国際学会で表彰されたり、各所で研究費を頂いたり、手術症例が増えた
りと、医師としても、にわか研究者としてもノリノリになってきます。このタイミングでも結婚や出産を
考えることもほとんどなかったように思います。この時期は友人の結婚ラッシュでもあったのですが、こ
れまでバリバリに仕事をしてきた友人たちの報告をむしろ「(キャリアが)もったいない」という感情を
抱いたのを覚えています。友人は逆の意味で同じように「(女性としての輝かしい時期が)もったいない」
と思っていたのかもしれません。
 私は基礎研究目的に留学しましたが、はっきり言って最初は全く研究に興味はなく、入局説明会での私
の主訴であった「基礎研究や留学しなくていいのなら入局を決めたいと思います」は誰からも忘れられて
しまっていました。こんなにも興味がないのに、どうしたものかと悩んでおりましたが、いろいろとやっ
ていくうちに、何とか楽しみを見つけられるようになり、じっくり考えることのできる貴重な時間を過ご
せたと思います。研修医としての過酷な労働から突如解放され、当初は抜け殻のようでしたが、臨床と違
い、また大学のような研究機関と違い、研究所でもあったことから、指導してくれる人もおらず、自分か
ら働きかけなければ何もない空虚な毎日の中で、何かを見つけていくという全く違う世界でした。ただ最
初の1か月目の結論は、「分からない事(実験の方法など)を分からない言葉(英語)で説明されてもわ
からんわ!」という苛立ちでした。家族で留学される方は、家庭での楽しいひと時があったり、新たな家
族ができたり私から見るとずいぶん楽しそうでした。「男性医師」が平均38歳ぐらいで、専門性を極める
ために、子供2人ぐらいと奥さんと一緒に留学される生活は、「女性医師」が戦(闘)っている姿とは雲
泥の差のように、当時の私の目には映っていました。「女性研究者」として一人で何かをやりに来た人た
ちも数人いましたが、Ph.Dとしてさらなる飛躍を目指す人や、通常の就職先として就職された研究者の方、
家族が研究者として働いており、そのうち自分でもポジションを獲得したM.D.の女性、とさまざまな境遇
の方がおられましたが、私のように臨床から何もわからないで何となくやってきて、毎日ぼんやりという
人はいませんでした。基礎研究の知識も何もない人は誰一人いなかったのではないかと思います。前任の
先生からの十分な引継ぎもできず、ただただ「何しようかなー。何しにきたのだろうか、とりあえず日本
に帰りたい」の毎日で、いろいろな思いに涙の日々でした。しかし、一人で考え、発想力と孤独にひたす
ら耐える力はここで培われたのかもしれません。Cookpadを知らない時代に、アメリカのスーパー
に売られている食材のみでおせちやフレンチのフルコースも、寒くなれば肉まんも生地から作れます(
余談ですが)。
 そのうち、段々と研究も軌道に乗り、実験の待ち時間には「神の手」福島孝徳先生の手術を見学に行き、
パワーと知識を吸収してラボに帰り、残りの実験をするといったルーティンができてきました。
 あとで考えると、この頃が一番のモテ期(?)だったかもしれず、帰国前のタイミングでもあり、色恋
沙汰にはちょうど良かったのですが、その後に待ち受ける学位取得、専門医試験を考えると、やはり結婚
や出産はこのタイミングでもないのです。
 話は少し外れますが、脳神経外科学会でも女医会が、大きな学会に付属して開催されますが、「(異性
には目もくれず)バリバリ手術しています」とか「何人か出産しながらも、時間に余裕のある病院で働い
ています。子供が少し大きくなったので習い事も始めちゃいました」という充実感のある発言が予想され、
ひねくれているとは思いますが、特に後者の状況報告を聞くと、自分の決心が揺らいでしまう気がしたの
で、これまで一度もその会には出席したことがありません。そのせいで、迷子の期間、答えの見いだせな
い時間が長くなってしまいました。そういった会には、意地を張らずに参加すべきだったと後悔していま
す。そんなに卑屈にもならなかったと思います。
 幸いにも、家族や周囲の方の助けと、何よりも「どうしても子供が欲しい」という私の頑張りで現在は
一児の母となりました。とてつもなくかわいい我が家のプリンセス(将来の夢がプリンセス)がいるから
こそ、過酷な状況にさらされても、ひどい目に合っても何とか頑張っていけるのだと思います(帰宅する
と、玄関のドアのスリットにへばりついて「ママがいい~」と泣いていたり、変な顔をして笑わせてくれ
たり)。疲れ切った心を癒してくれます。
 妻・母となった一人の医師として、かつて遭遇したことのない各種ハラスメントや理不尽な出来事に合
ったことをきっかけに、「女性医師」の権利がきちんと守られることを目的に、そして「女性+医師」と
して両立できるように、何か問題が起こった時に組織として抗議、解決の手助けをしていただいたり、逆
にできることがあればお手伝いをしたり、といったことを目的に、鳥取県女性医師の会に入会させていた
だき、これからも活動に参加していきたいと思います。誌面上、書けないような内容の話がとにかくたく
さん聞けます。参加前のイメージでしたが、こういった会は、言い方は悪いですが、「女性医師」として
比較的早くに結婚、出産し、「幸せです~♡」の自慢大会のような雰囲気かと予想していましたが、それ
は全くの誤解でした。本当に凛とされている、「素敵」な先生方にたくさん出会えます。とりあえずは現
状でのやり切れない思いをそれぞれがしゃべくりまくります。こんな会なら最初から出ておけば良かった
と思いました。医師会主催なのですが、勤務医の先生も少なくないです。医師会から独立した組織とし、
勤務医の先生にも参加、活動してもらえるようにできればいいと思います。将来的には、「女性医師」が
「女性」としても「医師」としても、満足のいく社会になればと思います。そのために今できることは、
情報を共有し、根深い問題点もどんどん掘り起こし、対策を練る、一部の大学の女性医師のように、男性
医師に負担をかけない、むしろ「いてくれてありがたい」と思われるような関係性を築いていく、そして
「女性医師」ではなく「医師」と呼ばれるよう、さまざまな活動をしていくことだと考えています。
 最後になりましたが、入局説明会の答えとしては(すべて私見です)、
①確かに結婚は「君」次第(近藤先生正解!)。でも当然しない選択もある。退職してからする道もある。
適齢期など存在しない。
②一生医師としてフルタイムで働きたいなら、相当理解のある人と結婚する。
③子育て>医師の仕事、が理想なら医師どうしの結婚がうまくいっている夫婦が多い印象。
④結婚や出産のタイミングに正解はない。
⑤ただ、子供が欲しい人は、ここにだけ生物学的限界があるので注意(産休や育休の制度はあっても、妊
活のための休みや休養はない。体外授精のための採卵時の全身麻酔の後も当直はある)。
 こんなに偉そうに羅列していますが、現在私は②に属し、家事は両立どころか80%が夫の役割になって
います。家事分担どころではありません。この場を借りて感謝の意を伝えたいと思います(ありがとね)。
私事ですみません(家で言います)。