Joy!しろうさぎ通信『これまでを振り返って』

尾﨑病院 皮膚科 柴田 美千代

私は東部の皮膚科非常勤医です。その故医師会へ入っておらず会報を拝読していないことを幸いに原稿を引き受けてしまいました。仕事と生活を両立されているサクセスストーリーでなく他山の石として読み流していただければと思います。

私の大学生活、卒業、結婚は、昭和の高度成長期に続くバブルの真っ只中でしたので、気になっていろいろ情報を集めてみましたが、女医もバリバリ仕事をするという風潮でした。逆に、そうでない人達の声は表に出にくかったと思います。私も早く多くの仕事を覚えたくて、はじめの頃は病院に寝泊まりして先輩について学び、大学院2年目からは基礎医学の実験に明け暮れ、院卒業時に子を授かりました。出産後は生後11日目の子の入院に始まり、2ヶ月後の産休明けの育休には馴染みがなく、乳児を抱えて単身一人常勤、5回保育園を変わり、公的な託児制度(ファミリーサポートセンター)、教会のシスター、近所の方、親や遠方の親戚にまでお世話になり、24時間保育、病児保育があったらよいなあと思っていました。周囲に迷惑をかけながら力業でやってきましたが、夫婦で19回引っ越しし、10年目で非常勤という形をとりました。

仕事は好きでしたし、国のお金で医師にさせていただいたという思いから、仕事はずっと続けています。一方で子育て、家事もしっかりやりたいと、学童保育を立ち上げたり、家のことも勉強してオール電化、調湿住宅を学校の近くに建てたりしましたが、親の思惑とは違って子らはその校区外の学校へ汽車通になりました。犬を飼うのは大変なので長いこと抵抗していましたが、子の反乱で犬を飼う羽目になった際は、動物病院、ペットホテルを決めた上で100犬種位の中から一番丈夫と考えた柴犬を迎えて散歩をしないで済むように放し飼いできる庭を作ったのに、その犬も異常気象で熱中症になったり土をお腹一杯食べたり、腸炎やてんかん持ちになり、ダイアップを持って暴風雨警報の日も朝夕30分は散歩しなくてはならなくなりました。その他にも、近くに宅配を装った強盗が入りホームセキュリティの後付け、近しいものの入退院、看取り、子のセンター試験では追試に進路指導教官も初の配慮受験等、次々と対策をしても想定外のことが降りかかり必死でしがみついてきたというのが本当のところです。もちろん楽しいこともたくさんあって、今となっては大変だったことも笑い話ですが、武勇伝のような苦労話は、若い方へは、はた迷惑な前例になってしまいます。大変比べ、我慢比べではなく、男性も女性も、独身の人も、皆が自分に合った働き方を選べるようになり幸せになれるといいと思います。

しかしながら、家事、子育て、地域活動など浅くても広くやってこられたお陰で、受診された方からの仕事や生活上の質問に対し、一般的な治療だけでなく実際経験してきた者としてささやかではありますがアドバイスや工夫をお伝えすることができるようになりました。その際、本当に実践していただけるように、手に入れやすい百均等で購入した物品等を使って具体的にお示しするようにしています。

時には、過剰な外用が悪化原因になっている人に、皮膚の解剖、生理機能を何枚もの図を使って説明し、何もしないことが軽快する方向、積極的無治療をこんこんとお話しすることもあります。それらは全くコストに見合わず、時間と気合いが必要ですが、それで良くなってもらえれば本望です。昔は「お節介ながら」と言って切り出すと、反発されることもしばしばでしたが、この頃は、自らも磁気治療テープを貼り中近両用眼鏡を跳ね上げながら「老婆心ながら」と言って話し始めると怪訝な顔をされることもありますが、とりあえず素直に聞いてもらっています。

人のお役に立てることは嬉しいことですし、ありがたいことです。お互い幸せになれるよう、診療を続けさせてもらっています。