Joy!しろうさぎ通信『~人生いろいろ~』

倉吉市 井東医院  井 東 弘 子

1990年に倉吉市で眼科クリニックを開業し、1998年に内科を併設し現在に至っています。

振り返ればそれ以前の勤務医期間も含め残念ながら後悔ばかり残る半生となりました。

1983年に島根医大を卒業しました。

鳥取大学眼科に入局させていただきそのまま眼科医を続けて今日に至っております。

仕事の上でし残した心残りは色々有りますが、その一つに博士論文のテーマとして与えられたヒトの白内障の初期変化の考察が有ります。

当時の藤永教授から、動物実験はできないだろうから、ヒトの水晶体の組織的な変化について調べるように指示されました。今から40年前は白内障の術式は全摘出が一般的で摘出した水晶体には白内障進行過程の様々な構造変化が見られますが、その中で術前の細隙灯顕微鏡でしゅう隙といわれる細かい白色の皺のような初期変化が見られることが有り、そこの組織変化について調べました。関連病院の先生方にお願いし資料を集めて、光学顕微鏡、電子顕微鏡、偏光顕微鏡的観察からの考察というまとめでしたが、知識も時間も馬力も無いというお粗末な研究者で教授からは「これじゃ、ノイエスがないだろう!」「医学論文の書き方を1から勉強して来なさい!」と30回以上のダメ出しをくらい、真っ赤になった原稿を書き直し、結局は教授や助教授、直接の指導医の先生のご意見を私は筆記したようなていたらくでした。当時をご存知の先生方には懐かしいワープロをその時に買いました。今や、明日のプレゼンテーションの準備を夜パワーポイントで準備しても間に合いますからほんとに隔世の感が有りますが、ワープロで書き出してからはどれだけ直されても画面上で簡単に修正出来るので、~なんて便利なんだ!~と感動したり、その過程で指導医の先生から写真の現像と焼き付けの仕方を教えてもらい、蛍光眼底写真のフィルムを現像しておもしろがったりしていましたが、心残りはその結果です。その後間もなく、白内障の術式は嚢外摘出術、眼内レンズ挿入が主流となり、水晶体全体の組織を観察することは難しくなりました。藤永教授はその流れの中で摘出水晶体の組織観察の機会が少なくなることを見越して、白内障の進行過程における加齢による初期の組織の変化を捉えて進行を遅らせる要因の可能性と薬剤開発の可能性くらいまで考えておられたのではないかと今頃気づいてます。後の祭りなのですが…。

近年は、加齢因子、抗加齢因子、遺伝子解析まで当たり前のご時世ですが当時はそんなことは不可能でしたが、凡才の私でも「組織的な変化に連動する物質的な変化を捉えることができたらおもしろいから生化学の先生に教えてもらえないかなあ?」などと思いましたが、思っただけでした。

白内障手術は手術機械や使用薬剤、眼内レンズの開発とそれに伴う技術の進歩は目覚ましく、多くの人が恩恵を受けていますが、地球上の生物として獲得した生来の水晶体とそれに付随する機能を完全に代替することはできませんし、世界中を眺めてみても二重焦点眼内レンズ移植術ができる経済力の有る国ばかりでも有りません。他方、人は皆老いていくので、白内障進行を予防する薬剤ができれば助かる人も多いのではないかと思ったりもします。

勉強不足の未熟さからしでかした失敗は山ほど有りますが、山陰労災病院に勤務していた頃、白内障手術翌日朝から頭痛、吐き気を訴えられた患者さんが有り、てっきり頭に何か起きたのか?と脳外の先生に診ていただいたところ、「何も無いで。緑内障でも起きたんと違うか?」と言われました。

(え?昨日の手術は問題なく終えたし、虹彩切除してるし、そんなはずは?)と思いながら眼圧を測ってみたら、上がってました…。自身初めての経験でしたが、恥ずかしくてほんとに穴が有ったら入りたい気分でしたが、先生には「灯台下暗しだな」と言われて足元から考えないといけないと肝に命じました。でも其の一件以来、「こいつは研修させないといけない」と思われたのか、機会有るごとにご指導下さり、副鼻腔炎の急性増悪で前頭洞炎から脳膿瘍を起こし手術が必要だった症例では、「勉強になるから見に来るか?」と見学させてくださいました。他科の先生方にも沢山のことを教えて頂き、勉強時間が不足していた私には貴重な実習となりました。

自己を3流と客観評価しながら仕事を続けるのは侘しいものも有りましたが、時には心慰められる出来事も有りました。

ある日、30代の女性が「数日前から眼前が紫ぽくなって見にくい」と来院されました。小さな頃から診ていた娘さんなので、「少し顔色も悪いし貧血でもあるんじゃない?」と少し軽い気持ちで視力測定してみたところ、矯正視力不良でチラッと眼底を見たら、「え?」と、どきっ!としました。網膜一面に斑状出血と綿花状白斑が散在していました。眼底写真で確認し、ご本人には全身の病気から起きる眼底出血が起きているから、大学病院での治療が必要と伝えて紹介手続きを職員に指示しました。

それでも大まかな血液状態は知っておきたいと思い内科で簡単な血液検査をしてもらいました。結果を見て、胸がドキドキしだしました。血小板数が9,000/㎣?⁉。内科の看護師も数値を見て器械が間違っているのではないかと疑い2度再検査していました。

「これはのんびり明日眼科どころじゃないわ。どこの血液内科に緊急紹介したらいいんだろう?」と内科医の夫に相談したところ、

「そんな、どこの誰かもわからない眼科開業医が直接紹介してもいつになるかわからないし、この病気は数時間の治療の遅れが命取りになることもあるから直ぐに厚生病院の救急外来に頼むのが賢明だ」と言うのですぐに厚生病院の救急当番の先生に電話しました。

内科のS先生でしたが、すぐに迅速に対応して頂きました。内科の白血病関連の本をあちこち調べてみて予後が楽観出来ないことを知り、無事に生還の幸運を祈りました。2年余り経過したある日、「元気になりました。」とにこっとして外来に来られた時は~私もたまには人の役に立つこともあるんだ~とじんわり嬉しくなりました。

近年、女性が活躍する社会とか、子ども一人産んだら?万円あげますとか、子育て家庭の優遇措置とか、その場しのぎの政策が目立ちます。もちろん、子育て中の女性医師にとっては制度の充実は望ましい事ですが勘違いしては自分達の首を絞めてしまいます。

個人的意見ですが、女性は子どもを産んで育てて一人前という固定観念に縛られる必要はないと思います。個人的には子育てしなくても社会的に立派な業績を挙げ優秀な後進を育てられた方は男女を問わず稀有な才能で社会の母として尊敬に値しますし、ずっと仕事を続けている女性と男性が納め続けた税金が育児休業給付金や母子家庭補助金の財源です。

女性が自らの意思とその努力で才能を発揮出来る平和な時代が続いて欲しいと祈ります。