Joy!しろうさぎ通信『古希を迎えて』

米子市 おおの小児科内科医院  大 野 雅 子

子どもの頃は神経質で、よくかんしゃくをおこし、風邪をひきやすく、肺炎で死にかけたこともある私が、古希まで生きてこられたこと、しかも医師としての仕事も続けてこられたことは喜びです。

昭和49年に鳥取大学医学部を卒業と同時に結婚。横浜をかわきりに、米子→福岡→米子→アメリカ→米子と2−3年毎に転居し、働く病院が変わりながら、平成4年に今の場所に開業するまで、医師の仕事にたずさわってきました。その間に、4人の子どもの出産と育児もあって、産前・産後のお休みのみで仕事に復帰し、多忙な日々だったのですが、今考えるとどうして出来たんだろうと不思議です。それぞれの病院で産休を取らせていただき、ご迷惑をおかけしたと思います。それぞれの職場の人達の協力や温かい配慮に感謝しています。

子どもができたら、仕事はやめようと最初は考えていたこともありましたが、何より主人の理解があっていつも背中を押し続けてくれたこと、学生時代に出会った米子の人達が心の支えになっていたこと、医学部に行かせてくれた両親に医師の仕事を続けることで恩返しがしたかったこと、何より医師の仕事が好きだったから、ここまで続けられたのだと思います。

4人の子育て中、産前産後の産休後は、職場に迷惑をおかけしたくなかったので、すぐに復帰しました。生後8週後からみて下さる保育園を捜したり、お手伝いさん、ベビーシッターさん、時々実家の母に来てもらったりして、なんとか切り抜けることができました。子育て中の自分の給料は大半が子どもの養育費に消えていきましたが、仕事を続けることが第一と思ってやってきました。

母、妻、医師と、何役もこなさないといけない女性医師ですが、医師以外のいろんな経験も、家族と共有できて、人生を豊かにしてもらっていると思っています。4人の子どもたちもそれぞれに独立し、家庭を持ち居を構え、9人(もうすぐ10人)の孫がいるおばあちゃんです。

主人も70歳で開業して、新しい道を歩き始めました。私もこれからの人生をどう生きようかと考えた時、心身が健康であれば、もう少し今までとは違ったやり方で、自分なりに医師の仕事を続けていけたらと願っています。これまで、医院に通院して下さった方がだんだんお年をとられ、受診するのも大変になってこられています。そういう地域の人達の往診をしながら一緒に年をとっていけたらと思っています。70歳を過ぎれば、決断力、判断力、行動力が低下してきますが、これまで45年間医師の仕事を続けてきた中で培われてきたものもあるように思います。今度はそれを生かしていける仕事、訪問診療(往診)をして、地域の人達に寄り添っていけたらという夢を描いているところです。

仕事を続ける5か条
・心身ともに健康であること
・医師の仕事が好きであること
・協力者がいること(夫、両親、お手伝いさんやベビーシッターさんなど)
・出来ることから、出来る範囲で続けていくこと、継続は力なりです
・いつも周りの人に感謝の気持ちを忘れないこと