Joy!しろうさぎ通信『リラの花に寄せて』

米子市 医療法人社団マリ医院  山 根 蓉 子

開業して40年が経った。振り返るとあっという間に時が過ぎ去ったように思う。衝撃的だった事、感動した事など色々思いだされる。

開院した当初、この地は辺り一面田圃で、西は日本海、東は大山より風が吹きすさぶ荒涼とした地だった。時が経つにつれて民家や店が次々と立ち並び、町が形成されて行った。又、この近くには病院、医院は殆ど無く、中山、名和、大山町等から患者さんがやって来られる時代だった。ある日、入院中の患者さんの所へやくざの仲間がやって来て、患者さんにからんでいた。それを見た私はナースと共に体をはって患者さんの身を守った。暴力沙汰になることも無く、やがてやくざは去って行ったが、しばらくは足が震えて止まらなかった。又、梅雨の時期、寺の境内の中で死人が発見され、警察より検視の立ち合いを依頼された。若い警察官が顔の覆いを取り除いたところ、その異様さを見て腰を抜かしてしまった。死後2週間位経っており、顔は黒色化し、両眼球・鼻筋は消失しており、腐敗臭著しく、体中を蛆がはっていた。この出来事は何十年を経た現在も忘れることが出来ない。ある時、患者さんで梨農家の人と知り合いになり、梨の木を1本お借りし、オーナーとなり1年間梨の世話をしたことがある。梨の実はこんなにも沢山の工程を経て世話するのだと体験し、梨農家の大変さを思い知らされた。

あなたは「ようこ」なのになぜ「マリ」?とよく尋ねられる。真理を追究し、正しい診断、治療に当たろうという願いを込めて、夫と二人でマリ医院と名付けた。

毎日の診療で夫は猛烈に忙しく、一日中診療をした後、多い時には3件の手術を行った時もあった。夜間も急患がひっきりなしで床についたと思うと又、起こされるという毎日だった。しかし住めば都、この地で眺める大山、日本海の景色の美しさ、美味しい魚、名水百選の水、何よりも多くの患者さんと知り合いになり、現在も親しくさせていただいていることは宝物のように思える。

夫は超多忙な生活がたたり、東北大震災の年、突然帰らぬ人となった。共に走って来た相手を失い、しばらくは夫の死を受け入れられず、茫然自失であったが、皆さんに励まされ、やっと立ち直る事が出来た。

平成25年有床診療所を介護老人保健施設に変更し、平成31年4月甥っ子の山根一和を院長に迎え、マリ医院に新しい芽が誕生した。毎年5月1日のメーデーの日、その日の売り上げを職員用のリクレーション費に回し、年1回皆で旅行を楽しんでいる。現在も開業当初より40年間勤務している職員もあり、家庭的な雰囲気の和気あいあいとした職場であることをうれしく思っている。

我が家の庭にリラ(ライラック)の木があり、毎年春になると白い美しい花を咲かせる。私はその一房を取って夫の霊前に捧げ、夫に話しかける。リラの花は一枝でも切ると翌年は周りの花は咲かないと言われ、病人への見舞いは禁物とされているが、私はこの花を亡き人との対話の花としていとおしく思う。我が家のリラの木がやがて高木となり、沢山の花を咲かせるのを楽しみにしている。

40年間仕事を続けて来られたのは、多くの方々に協力していただき、思い切り仕事に打ち込める環境にあったからで、お世話になった方々に大変感謝している。

昔より、女性医師が子育てしながら仕事をする事は並大抵のことでは無かった。近年、女性医師の働き方改革が盛んに叫ばれている。更なる保育所、託児所の施設の充実、勤務体制の考慮などがなされ、女性医師が一人でも多く後に続かれることを切に願う次第である。